May 30, 2009

インフラに投資する不動産投資信託

不動産投資信託の中でインフラ系の設備を備えているかのような施設を保有している不動産投資信託に焦点を当てている。このような不動産投資信託は、収益率が硬いと思うからだ。オフィスビルなどでは景気動向に応じて、賃料が上がったりネリゴもして安定しない。自分は安定した賃貸収益を追求することになる。
マンションの管理は非常に楽な仕事ではありません。部屋の危険性や建物の修理、店子への対応ドゥンハジばいけないは様々です。アマチュアは、これらの対応は非常に困難です。そのような場合には、管理会社に管理を依頼してしまうのも一つの方法です。管理会社はマンション管理のプロであるため、コストがかかったと言ってもオーナーの負担はかなり軽減されるものです。
 9月1日の「防災の日」を前に松本市役所で23日、防災訓練があり、職員ら約300人が参加した。6月30日に市内で震度5強を記録した地震を受け、訓練の想定震度を5弱から5強に引き上げた。
 また、サッカーJFL・松本山雅の松田直樹選手(34)が市内で練習中、急性心筋梗塞(こうそく)で急死したことを受け、自動体外式除細動器(AED)を使った救命措置の講習会も開いた。
 訓練は、静岡県北西部を震源とするマグニチュード8の地震が起き、庁舎1、2階の給湯室から出火したと想定。職員は机の下で揺れが収まるのを待ち、各課の人数を確認しながら避難した。消火栓からホースを延ばし、外に向けて放水した。
 AED講習会では消防署員が機器の取り扱いや、心臓マッサージの方法を説明。市職員は真剣な表情で臨んだ。健康づくり課の上條亮さん(40)は「手順ミスなど、いざという時に焦らないようにしたい」と気を引き締めた。【大島英吾】

8月24日朝刊

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 県建設業厚生年金基金(長野市)の約23億8000万円に上る使途不明金問題で、基金は23日、理事会を開き、不明金が発生した時期の理事長や理事ら役員陣に対し、損害賠償を求める方針を固めた。中川信幸・理事長は会見で「今年中に内部責任について方向性を出したい」と述べた。
 基金によると、現在の財政状況について、資産額は厚生年金基金を解散する場合に準備しなければならない「最低責任準備金」の額を大幅に下回るという。昨年12月、厚生労働省へ健全化計画の提出を義務づけられる「指定基金」になった。
 基金は責任者への賠償請求の他、健全化策として、運用方法の改善▽年金掛け金の増額−−などを挙げた。中川理事長は掛け金について「来年度までに最低1%は引き上げなければならない」と述べた。健全化後「解散も含め基金の今後を検討したい」と述べた。
 この問題では10年9月、基金に多額の使途不明金が発覚し、事務長だった坂本芳信容疑者(53)=業務上横領容疑で指名手配中=が失踪した。基金は、坂本容疑者を相手取り損害賠償を求め、提訴している。【小田中大】

8月24日朝刊

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 諏訪市は22日、諏訪湖畔で9月3日に開く「第29回全国新作花火競技大会」(市などの実行委員会主催)で、企業などの協賛金が昨年を71万円上回る2390万円に達したと発表した。東日本大震災の影響を考慮して目標額を昨年より200万円少ない1800万円としたが、予想を大きく上回った。
 大会会長の山田勝文市長は「協賛金は大阪など県外の企業からも協力をいただいた。諏訪湖花火大会に続いて新作大会の反応も良く、今まで通りの見栄えになる」と喜んだ。
 競技大会は、全国から参加する若手花火師が新作花火の技術や独創性を競い、優勝者に「経済産業大臣賞」が贈られる。今年は県内外から25人の花火師がエントリーし、競技花火とスターマインを合わせて31セット約1万7000発を打ち上げる予定。昨年の観客数は約30万人だった。【武田博仁】

8月24日朝刊

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 ◇集団自決寸前「行けるところまで行く」に。「死なんで済むんだなあ」と、ほっとしたよ−−中野市・三井寛さん
 証言者の2人目は中野市在住の三井寛さん(77)。長男で2歳の時に両親と3人家族で旧満州(現中国東北部)に入植し、敗戦後は現地で中国人の養子になるなどして生き延び、11歳で帰国した。少年の目で見た開拓団や引き揚げ時の波乱の体験を聞いた。
 <倭(やまと)村(現中野市)で生まれ、1937年に満州・東安(とうあん)省密山(みつさん)県に、長野県が初めて単独で募集した第5次黒台(こくだい)信濃村開拓団として入植した。開拓民は県内全域から357戸計1610人(県満州開拓史)に及んだ>
 父は元日本共産党員で(機関紙の)赤旗の記者をしていたんだ。恐らく党の活動が原因だと思うが、監獄に入れられた時に偶然、房で戦後に保守系代議士になる男と一緒になり、諭されて急に国粋主義に傾いていったらしい。
 開拓団募集に賛同し、県内中を勧誘して歩き「五族共和で大東亜共栄圏をつくるんだ。リーダーは日本だ」と呼び掛けて回った。何しろ、弁がたったらしい。勧誘した親父自身も行かざるを得なかった。親父は先発隊で半年前に満州に渡った後に一時帰国して、俺らを迎えにきた。
 <開拓地では一軒家に暮らし、豊かな畑も与えられた。貧しかった倭村と違い、食べ物に困ることもない。国民学校(小学校)に通いながら、農作業を手伝い、平和で無邪気な少年時代を過ごした>
 日干しれんがでできた平屋建てに住んだ。畑では大豆、家畜飼料用の麦や野菜を育てた。牛や馬も10頭ぐらいいたし、鶏も200羽飼っていた。
 ランドセルを日本から送ってもらってなあ。春夏になると、湿地帯にいるガンやカモの卵を、ランドセルに詰めるんだよ。卵が割れて教科書がぐしゃぐしゃになって、どんだけ怒られたか。ひもじい思いをしたことはなかった。楽しい思い出ばかり残ってるねえ。
 <敗戦直前の45年8月9日、状況は一変する。日ソ中立条約を破棄したソ連兵が北方から侵攻。日本の関東軍から開拓民に南西約200キロにある街・牡丹江(ぼたんこう)に避難するよう命令が出た。男性の多くは出征中で、女性や子供ら約1300人は集団で避難を始めた>
 国民学校5年生だった。両親と一緒に大雨の中、夜通しで馬車に乗って移動したんだ。当時は、かっぱなんかない。厚い綿入りの外套(がいとう)を着て、雨を吸収してしまう。裾に水がたまって重すぎて、バケツを下げているみたいだった。肌にしみて、寒くて凍死してしまいそうだったよ。
 <避難から4日目。先の見えない逃避行の途上「集団自決」の話が少年の耳にも届いた。日本軍の劣勢に乗じ、避難経路に位置する滴道(てきどう)炭鉱で中国人鉱夫らの反乱の情報が入った。「安全を確認しよう」と青木虎若・開拓団長らが炭鉱方面へ偵察に向かった。残された避難民は「もし帰ってこなければ、集団自決しよう」と決めた。10歳の少年の体も震えた>
 青木団長は午前4時に出発し「正午までに帰ってこなければ、集団自決する」と決まったんだ。とにかく震い立ちがきて、落ち着かない。腹の底から寒気がして、みんな黙り込んじゃった。
 正午になっても団長は帰ってこない。自決用に唐松の木を削ってやりを作ったり、目隠し用のさらしを皆に配ったりしてね。水杯(みずさかずき)(死に別れる儀式)も済ませて……。
 「さあ、あとは死ぬだけだ」となった。けど、なかなかゴーサインが出ない。出なかったというより、出せなかったんだなあ。
 「行けるところまで、行こう」。結局、誰が言うでもなく、他の幹部もそう即決したんだ。「死なんで済むんだなあ」と、とにかくほっとしたよ。【満蒙(まんもう)開拓団企画取材班】=つづく

8月24日朝刊

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